ぶんぐっデイ

文具が好きです。気持ちを残せるから。

他部署の上司の気遣い

他部署の上司から気にかけてもらえるとすごく嬉しい。自部署の上司が気にかけてくれるのももちろん嬉しいけれど、他部署の人はその人の部下もいるのに、こっちのことまで気にかけてくれると、より嬉しくなる。これは覚えておこう。

 

全然関係ない話だけれど、サブスクって便利。固定費になってしまうけれど、必要な月だけ契約するのもいけるのはとても便利だ。

CASEって言われてるけど、カーシェアリングって急速に普及していくだろうな。

信用と信頼

実績がないので信用してもらえないのは仕方がないのかも知れないが、信頼はしてほしいと思うことがある。

マイクロマネジメント思考なら仕方がないと覚悟はできるのだが、最後の最後に「これやってますか?」と聞かれるのは、場合によってはやる気を削がれることに繋がると思う。

 

誰が見てもわかる段階になってから突っ込み始めるのは遅いと思っている。新しい企画に着手する前の段階で、妄想とか想像の相手はほしいけれど。

わがままかも知れないけれど、致命傷とか大きな失敗が目に見えてない限りはある程度任せてほしいと思う。相手の言いなりになって遂行したことは失敗したときに、やる気が大きくそがれる要因になる。逆に自分が選んだ道で失敗したときは、大きな学びになる。

 

というわけで、僕はある程度失敗させるのも必要だと思っている派。リスクヘッジをしたうえで「やってみようか」と言うようにしている。失敗したってやりなおせばいいんだし。

 

 

胸が熱くなる小説

何日か前に「最近小説を読んでいる」という話をした。どうも手に取る小説の大半に恋愛沙汰が絡む。

世の中に恋愛が絡む小説が多いのか、僕がそういうのを選びがちなのかがわからないが、結構好きだったりする。

 

ただ、読んだ後に「これはいい」と思うのは仕事に関連する小説だ。仕事といっても、自分の仕事に直接関係があるものでなくても良い。誰かが仕事に対して真摯に向き合って、何かしらの結果を出すというストーリーが好き。現実に近くて、報われない結果だとしても惹かれるものがある。

 

日本人は劣勢な状況が好きだと聞いたことがある。新選組赤穂浪士も、劣勢だったからこそ人気が出たとされているらしい。

あー、小説読みたい。という欲がすごい。笑

喫煙所に思うこと

僕の父は愛煙家。母も元愛煙家。小さいころから両親がタバコを吸うところを見ていたので、タバコは吸わないけれど別に嫌いではなかった。ちなみにこれまで一本も吸ったことはないし、たぶんこのまま吸わないと思う。

前職ではタバコを吸っていた人も多く喫煙所が広かったのもあって、よく喫煙所に遊びに行っていた。喫煙所にしか生まれないコミュニティがあり、そこで広がりやすい関係性があったのは事実だったから。

吸わない僕が言っても、別に嫌がられることはなく、むしろ相談しにいったら「場所変えようか」と喫煙所に連れて行かれるくらい、愛煙家にとっては喫煙所は心地がいいところなのだと感じた。

 

コロナ禍になって喫煙所には行かなくなった。喫煙所は年々狭くなる一方で、更にソーシャルディスタンスが求められるようになり、僕が入ると吸えない人が出てきそうだな、と遠慮し始めたから。

ただ、行かなくなって思ったことがある。喫煙所はタバコを吸う人たちがマナーを守って使用していたエリアだ。喫煙所が小さくなっていくことを悲しく思う人達はマナーを守って吸っている人たちなのだと。

 

最近、通勤中に歩きタバコをしている人たちを見かける。前を歩かれると相当に臭いので、正直に言えば迷惑だ。副流煙を受ける立場として、知り合いとの楽しいコミュニケーションの中の煙なら良いが、他人の煙はただただ迷惑だ。

まあたまたま後ろを歩いていただけなので、運が悪かったと諦めようと思えばそれまでだが、今日の人たちはポイ捨てまでしたところを目撃した。100mほど後ろを歩く僕が、そのゴミのところまで来たとき、タバコはまだ煙を出していた。

 

こういう人たちのせいで今日も喫煙所は縮小傾向になっていくんだと思う。タバコに罪はないはずだ。それをマナーを守って喫煙所で吸っている人たちも何も悪くないのに。

 

個人的には誰も周りに居なければ外での喫煙もいいと思う。ただ喫煙禁止でなくても子どもが遊ぶ公園などでは控えるべきだと思う。害であることがわかっているのだし。

 

そして喫煙禁止区域でタバコを吸う人は、トイレ以外で用をたしているのと同じことをしていると自覚すべきだと思う。更にポイ捨てする人は、その用を足したものすら片付けていないのと同じだ。

今日も彼らのせいで喫煙所は減る。タバコを吸わない僕が見た、タバコ好きがタバコ好きに迷惑を掛ける瞬間。

不安はいくつかあるけれど

不安はいくつかあるけれど、考えても仕方がない。考えて行動するしか無い。そんなときの不安は書き出すに限る。

頭の中がぐるぐるするから不安になる。とりあえず書き出せば不安は「やるべきこと」に変えられる。

 

漠然とした不安はだいたいぐるぐる回っているだけ。「こうなったらどうしよう」を何度も何度も行ったり来たりしているだけのことが多い。

書き出してみると、自分が何に不安を感じているかを理解できるだけで「あ、自分はこれに対してこういう気持ちになるから、そわそわしているんだろうな」と客観視することができる。

 

というわけで書き出す。明日から月曜日。しっかりやってけば大丈夫だ。

 

店員さんに話しかけられること

服を購入するときは特に店員さんに話しかけられる人が多いと思う。それに関して賛否は分かれる場面をよく見かける。

僕は正直に言えば、買い物中に話しかけられるのは得意ではないのだけれど「これもホスピタリティなんだろうな」「ノルマとかがあるのかも」と思えば、しつこくなければ嫌な気持ちにはならない。

 

今日スーツを新調しようかと考えて、紳士服店へ行った。代わる代わる店員さんが話しかけてきてくれたのだが、店員さんの個性が見られて面白かった。

一番好きなパターンが、こちらが選んでいる間には離れていく。こちらがじっくり手にとって見ていたら「こちらもそちらの商品に近いモデルです」と並べてくれる。

また選び始めるとちょっと遠くに離れてくれる。あてがったときには「この商品はこのラインナップの中では」と話しかけてくれて、そっと立ち去る。

この流れが非常に気持ちよかった。ずっと張り付きされるのは選びにくくて苦手だが、とても探しやすいサポートだった。

 

急用ができて買うところまでは進められなかったが、好印象だった。買うときはあのお店であの店員さんのサポートで購入したいと思っている。

小説を読み始めた

普段小説はあまり読まないんだけれど、出張で移動距離がとても長かったので小説を読むことにした。

普段は実用書とかビジネス書を読みたいので、小説をあまり読まないようにしているけれど、やっぱり久々に読むと止まらない。

 

小説の良いところは情景を自分で良いように想像できることだと思う。作者の方が誰もが想像できるように情景を文字にしてくれているが、全員が同じ景色を見るわけではない。そこがとても良いところだと思う。

僕は小説を読むのが遅いほうだと思う。情景を思い浮かべながら読みたいから。登場人物も僕の頭の中で自由に表情を変えていく。

 

読み進めたいけれど、読み終わりたくない。そんな気持ちに毎回なる。あ、やばい。小説にハマってしまいそう。