ぶんぐっデイ

文具が好きです。気持ちを残せるから。

ロケットのニュースに思うこと

例によって決めたときにしかニュースを見ないのと、まとめてニュースを見るべきときに勉強に集中していたので、今週のニュースがほとんどわかっていない。

 

そんな中で「ロケットの打ち上げが失敗したと報道されていたよ」と聞いて、「打ち上げ失敗ってことは爆発でもしたの?」と思い、遅れ馳せながらニュースを探して見てみた。

調べてみると、「失敗」と表現したことが炎上しているらしい。あれは「中止」だと。論点はそこらしい。

 

自分もいち技術者として思うが、あれは失敗ではない。が、それ以上に「失敗」なのか「中止」なのかばかりに焦点があたっている気がして残念だ。

宇宙事業は今後の日本を元気づける、すごく重要な事業かもしれないと密かに期待している。地理的な条件もあいまって、日本は宇宙事業で伸びしろがあるかもしれないとワクワクしている。

特別宇宙関連のニュースを探してみたり、星に思いを馳せてよく夜空見上げてます、ってエピソードも人並み程度にしか出てこないが、技術が進歩していくのは嬉しい。

 

なぜ中止と言えるかといえば、想定内のシーケンス(決められた処理)でことが運んだ結果であれば、技術者が作った制御はむしろ成功している。だから失敗ではない。

制御を作るときに、どこまでも想定しきるのは難しい。だから、「こうなったら、こうなる」というのを、想定して想定して…制御を組み立てる。これはなかなか理解されないけれど、やってみると熟考が必要になると思っている。

 

研究者や技術者は毎日必死に研究や実験を重ねている。探究心で「どうやったらうまくいくのか」を研究している人たちも人間。想定の範囲があそこまで及んだことはとても素晴らしいこと。なぜなら意図的にあの状態を予知できていたのだから。

 

もし記者会見で答えていた人が失敗でも無かったのに、しつこい記者に対して「そうですね、あれも失敗かもしれませんね。」と言ったら、技術者たちはどう感じるだろうか。会見で伝えたあの方が事実を伝えるのは重要なことだと感じた。

 

この手のニュースで思うのだけれど、どうしてメディア側は追求されないのか。どうでもいいことばかり重箱の角をつつくように追い回すくせに、こういうメディア側の失態は追求されない。公平性がなくて信用に値しない。だから見なくなったんだけど。

きっと今後も見ないなと再認識させられた話題でした。